初めての妊娠、私にこの子は愛せるのか。
子供に苦手意識があった私。
22歳の時に私は妊娠をしました。
当時の私は、仕事をして自分の時間は彼や友達との遊びに全部使い楽しい日々を過ごしていました。
そんな中妊娠が発覚しました。
月経も遅れ悪阻の症状も出ていたのに、私は妊娠だとは考えませんでした。
いつもの生理不順、ただの体調不良…そう思っていました。
そんな私に検査した方がいいとい言ったのは母でした。
「まさか…。」
私はそう思い、検査薬を買っても中々検査出来ませんでした。
「もし、妊娠していたら…。」
仕事、家族、彼…色々なことがどうなるのか考えましたが、一番頭の中を埋めていたのは「私に赤ちゃんを愛せるのか」「もし生まれてたら、この子は祝福してもらえるのか。」という事でした。
友達がSNSや日常生活などで他人の赤ちゃんを見て可愛いと言うのが私には分からなかったからです。
赤ちゃんをみて私が思うのは、「赤ちゃんだなぁ。」それだけでした。
仕事場に来る子供を見ても、「元気だなぁ。」くらいにしか思ったことがありません。
私は生まれてくる赤ちゃんを、育児という大変な体験の中でも愛せるのか。
そして、この子は祝福されて生まれてくるのか。
そんな不安な気持ちから中々一歩を踏み出せませんでした。
そうしているうちに急激な睡魔に負けて、ハッと目を覚ましたら深夜の2時でした。
そしてなぜか、あんなにも踏み出せなかったのに「検査しなきゃ。」急にそう思いトイレへ行きました。
結果はもう色濃く陽性と出ていました。
あの時の検査薬の検査結果の出る早さにはびっくりしました。
一分待って出てくるのかと思いきや、滲んでいくと同時に線が出てきたのです。
後日産婦人科に行ったら、妊娠8週と言われたので「そりゃ検査薬も迷わないわな。」と思いました。
妊娠したという事実が分かり、私は嬉しいよりも不安が大きくなりました。
何がというわけもなく「どうしよう。」その言葉ばかりが頭をぐるぐる回っていました。
一番最初に祝福してくれた人。
不安な中、深夜に私が最初に妊娠したと告白したのは10年来の親友でした。
電話ではなくメッセージで、妊娠したかもしれない。
検査薬で色濃く線が出たのにお関わらず私はそんな伝え方をしていました。
朝になったらなんて返信が来るか。
心臓がドクドクと、いつもより大きく脈打っていました。
すると、いつも早寝早起きの親友からすぐに返信がありました。
びっくりしたと同時に、なんと返信が来たのかと思い鼓動が脳まで届く様でした。
深呼吸してからメッセージを開きます。
「本当!おめでとう!」
涙が出ました。
一番最初に報告した人が、おめでとう。と一番に言ってくれた事で
「あぁ、この子は祝福されて生まれてくるんだ。」と安心しました。
体の力が一気に抜けて、この子の誕生を喜んでくれる人がいるとわかり、不安が少しだけなくなった感じがしました。
そして、産婦人科へ行ってしっかり検査してもらおう。
そう自然に考えることができました。
その親友は、今では同じママ友でもあります。
これからも大切にしていきたい存在です。
産婦人科へ
後日産婦人科へ一人で行きました。
彼には妊娠したかもしれないから病院へ行ってくると伝えました。
「それは僕も一緒に行くべきじゃない?」と言ってくれましたが、私は一人で現実を見て頭の中で処理して、自分の気持ちを整理してから彼に会って話したかったので断りました。
初めての産婦人科は緊張しました。
お腹が大きくなっている人を見て、私もそのうちお腹があんなに大きくなるのかな。と考えたりしていました。
長い待ち時間の後、検査してすぐに赤ちゃんがお腹にいる事が分かりました。
妊娠8週で、心拍も確認できたよ。と言ってもらいました。
そして初めてのエコー写真を見たとき、思わず泣いてしまいました。
「私にこの子は殺せない。」そう思いました。
仕事や、彼の事、家族の事色々考えていましたが、エコー写真を見た瞬間周りの心配ごとよりもこの命を守りたいと思いました。
生まれてくるこの子をしっかり愛せるのか、その不安がゼロになった訳ではありませんが、もし、彼や家族に見放されたとしても生んで育てる。そう自分の意思を固めました。
ふぅ…、一旦私の初めてのブログはここで終わりにします。
区切りがいい気がするので。
次の記事では彼と両親、彼の両親に妊娠していたと伝えた時の事を書きます。
拙い文章を最後まで読んでくださりありがとうございます。
この文章が少しでも誰かの気持ちを軽くできたら嬉しいなと思います。